左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

シャーデンフロイデ

私が入院している病室には私を含め6名の患者がいる。私以外は高齢者の方で、看護師さんと意思疎通の難しい方もいらっしゃいます。「サイトウさん!管引っ張っちゃ嫌だよー!」看護師さんの苦戦している声が聞こえてきました。その時、ひねくれモノの私は最初に何を考えたかというと…お恥ずかしいことに「私は左手脚の麻痺はあるけれど、看護師さんの言うことは守れるし、よかった…」でした。

 

過剰な表現かもしれませんが、これが恐らく人間の心の奥底にひっそりといる「シャーデンフロイデ」、「他人の不幸は蜜の味」ーという感情に近いものなのだと思います。

これに気が付いた私は自分の心がまだひねくれていることに落ち込み、そしてサイトウさんに対して申し訳ない気持ちになりました。

もしかしたらサイトウさんは何が辛いかもわからない苦しさ(私は術後のICUで一晩これに悩まされました)に手元の管をぎゅっと引っ張ってしまっていたのかもしれません。

サイトウさんは今、何を思ってベッドに横たわっているのでしょうか。何が一番辛いのでしょうか…痛み?心細さ?考えても仕方がないことも、考え過ぎては私の心が粉々になってしまうことも想像できるのですが、昨日の申し訳なさもあり、サイトウさんの心だけでも救えたら…と考えてしまう。

何だか過去の休職中よりも脳出血で倒れてからの方が私は自分の心と向き合っている気がします。

「おい!私の心よ!お前はどこまでもひねくれているんだな!まっすぐになるまでこりゃ前途多難だよ!」

いや、話しかけても私の心は私自身なので仕方がないんですけどね。まっすぐな心ってどうすれば手に入るのですか…そもそも何をもって「まっすぐな心」とするのでしょうか。自分で言っておいて分からなくなってきました…【the考える葦】な私の脳みそよ、術後疲れ切っているところ申し訳ない、でも感受性豊かでひねくれモノの私はどうしても考えてしまうんだ…