左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

自責は自分を、そして誰かを守るために

 

私はかかりつけの四ッ谷にある心療内科(メンタルクリニック)のお手洗いで動けなくなり、救急車で慶応義塾大学病院へ運ばれました。

 

先日、母が心療内科の医師と話した内容を教えてくれたのですが納得のいかない点が一つあったので今日リハビリの後に御礼かねがね医師に電話をしました。

 

ー「先生、まずは色々と手配していただきありがとうございました」

ー『今の状態はどうなの?』

ー「脳出血の影響で左手脚に麻痺があって、脚は自分一人で立つことも難しい状態です。手は軽く握ったり開いたりができるくらいです」

ー『いやあ、私も運ばれる前に手脚の麻痺含め色々調べたしそっちの先生も最初分からなかったみたいよ

ー「先生、その件なのですが…私はお手洗いで倒れた時から左脚は麻痺が出ていました。先生とスタッフの女性がお手洗いの扉を開けようとした時、私の足、引っかかってましたよね?スタッフの方が何度も呼びかけても私は脚を動かせずにいましたよね?」

ー「母から聞いたのですが、先生は貧血だと思われていたそうですね。そして一時間、病室に脳出血を起こしている私を寝かせて下さったんですよね。

でも先生は問診をきちんとせずに動けない、と言った私の言葉だけで判断されたのではないですか?」

ー「確かに母の懇願でCTを撮ってわかったので先生には【難しかった】かもしれませんね…」

▽「お母さんの子どもで本当に良かった

https://creacreative-megumi.hatenablog.com/entry/2018/03/25/200818

 

最後のちょっとした棘のある言葉は彼に届いたかすら分かりません。

何だか心がひねくれていた昔の私を見ている気分でした。

ミスをした時、肩を落として心の中では自分を卑下するけれど、肝心の事実から目を背けて自責より他責。そして改善策を考えずに気分だけが落ち込んでゆく。

 

そして恐らく、この先生はこれから先に同じく患者がお手洗いで倒れても同じようなミスを繰り返すのだろうな…と思いました。

 

そして、最後にその医師が私にかけた言葉はー『まぁ人生そんなもんだ』

 

心の病での休職期間中、助けていただいたことや救急車の手配等、心療内科の先生にも勿論感謝をしていましたが、この言葉を聞いた私は目の前に聳え立つドコモタワーを睨みつけるしかありませんでした。

 

彼にたった一人で臨む、11時間の脳外科手術を前に恐怖の涙を流した私の苦しみは理解できていない。

手術室に運ばれる時、母がかけてくれた「迷ったらお母さんの所に真っ直ぐ帰ってくるんだよ!!」という言葉に心が救われ、安堵と心細さが混じった涙を流した私の戸惑いも理解できていない。

…はずなのに、彼は私の人生を理解したかのように「そんなもん」と言い放ちました。

 

自責は自分を傷付けるためにあるものではありません。

自分を傷付けるだけではその痛みによって現実から目を背けているだけ。

これは社会人一年目の私がよくやっていたことだから痛いほどその愚かさが分かります。

でも、自責すらできていない人間はどうなるのでしょうか…間違いなく同じ過ちを繰り返しますよね。だって、過ちを認識すらできていないのだから。

そして、【自責】とはー自分を守り、そして同じ過ちを繰り返さないことで誰かを守るためにあるのではないでしょうか。

私が元の仕事に戻った暁には「自分を、そして誰かを守るための自責」ができるWeb編集ライターを目指したいと思います。

 

そのためには自分のミスから目を背けずに認め、迷惑をかけた方へ事実の報告と謝罪をする。

そして、同じミスをして誰かに迷惑をかけたり傷付けたりしないために改善案を提示する…こんな感じでしょうか。

でも言葉で書くのは易しいけれど、実践するとなると難しいですよね。特に「自分のミスから目を背けずに認める」。

 

ひねくれモノの私の人生はまだまだ前途多難かもしれません…(色々な人に頼りながら!)もちろん乗り切りますが!