左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

「俗世」との距離感

今日、誕生日の3月4日から1ヶ月強の間入院していた慶應義塾大学病院を退院します。

そしてそのまま実家から車で30分のところにあるリハビリ病院へ転院。

エモーショナルな文章はお休みして…旅立ちを前にした私が空想していることを書きたいと思います。

 

今朝、退院のため荷物をまとめていた私はあることに気が付きましたー「あれ?こんなに独り言多かったっけ…?」

リハビリの記録や社会復帰に向けた目標を記したノートを積み上げる時もー「えっと…これは一番下で…あ!どうしよう!どうしよう!薬の袋を落とした!取れるかな…いや、ケガをしたら元の木阿弥…」

この過剰な独り言の発端はとにかく自分の中に溜まっている幾多もの感情を吐き出す「対処療法」だったのですが、いつの間にか無意識に独り言が出るようになっていました。

私は病院の外の世界を「俗世」と呼んでいるのですが、私がこれからまた数ヶ月間お世話になるリハビリ病院を退院する頃には私と「俗世」との距離は離れ過ぎてしまっているかもしれません。

周防正行監督の『ファンシィダンス』(89)だって、寺院の息子で修行僧の主人公とモダンガールな恋人との間には拭えない価値観の違いが横たわっていた気が…

私が一緒に仕事をしている部署の先輩方は懐が広いけれども、私の独り言のせいで仕事が捗らないから席替えを希望されるかもしれない…何なら部署の島から外されて少し離れたフリースペースで仕事をすることになったり…

もう杖があれば一人で歩けるし、『ファンシィダンス』のコミカルな修行僧たちのように、周りの目を盗んで「俗世」へ下りる計画を立てた方が良いのかもしれません。