左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

私の違和感

2年ほど前の初夏ー神保町でオルハン・パムクの『僕の違和感』上下巻を渋々棚へ戻した日のことを思い出す。彼の言葉から香る崇高さや艶美さすら感じさせる装丁の柔らかな手ざわりをひねくれた左手が覚えているほどにその本を離し難かったのですが、私は二つの理由からこの本との別れを決意したのでした。

一つ、上下巻合わせて約7,000円という値段から。二つ、社会人1年目の私が向き合うべき言葉は書面ではなく、仕事で関わる生身の人間との間にあったから。

 

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社会人になるまで国境を越えた古今東西の映画・本を生きる糧にしていた私の心は小さな感動すら逃すまい、と随分と敏感になっていました。例えばF・キャプラ監督『スミス都へ行く』(1939)の壮大なモブシーンに涙を流したり、新人作家・高橋弘希の『指の骨』では「戦時を知らない世代」が描いた歩兵の腐敗臭すら漂うような生々しい死の裏に隠された心の機微に感涙するほどに。

でもこの頃の自分を厳しい目で見れば、芸術から「《こっそりと》《受動的に》言葉を受け取っている」に過ぎません。更にはこの作品から受け取ったと錯覚していた「言葉」すら自分の独白に過ぎない。つまり、私はひねくれモノの自分が認められず、叱責されることを恐れて対話から逃げていたことになります。

だから、社会に出て感じた【私の違和感】を解消するべく、一旦芸術(≠アート)と距離を置いてひねくれた心の自分と、そして周りの人と会話をする、という今まで怠ってきた努力をすることにしたのでした。つまり『僕の違和感』との別れは【私の違和感】を強めず、社会人として生き残ろうと考えた末の決意。

 

そして、昨日ー院内で歩行練習をしている私は新たな【違和感】を覚えました

 

ー「私は今、道のどの辺りを歩いているんだろう?」

先生は私の左側を歩いていて、私はその横を歩いていることは分かる。道の中央なのか?それともどちらかといえば右寄りなのか?

私はこの空間のどの辺りに居るんだろう?

すると、担当のエノモト先生が平行棒の方を指差して「あの隙間を通ってみて」と話しかけてきました。

今歩いている道の1/3くらい、幅1mの隙間でした。

歩きにくさから自分でも分かる程に歩くスピードが落ちてゆきます。以前の私なら少し体をずらすだけで通れていた筈の幅を一歩一歩進んでいく私はこの【違和感】を訴えようと足を止めました。

すると、エノモト先生はゆっくりと【私の違和感】について話して下さいました。

ー『オオサワさんは今回、右脳に出血があったじゃない?右脳には感覚機能があって、その中に空間把握をする、つまり自分が空間の何処にいるかを素早く判断する力【空間認識能力】があるのね』

ー『でも、右脳に出血があったオオサワさんはその判断スピードが落ちているから、さっきの隙間も通りにくかったと思うの。でも、日常生活を送るうちにこれは改善されてゆくから、大丈夫』

図書館に行けないのでネットの知識だけになりますが、恐らく左側への注意や認識力が低下する「半側空間無視」や図の書き写しが困難になる「構成能力低下」もこの影響なのだと思います。

先日、先生方とのミーティングをお願いしたことでやっと復職までの道のりを掴みかけた私ですが、こちらも何故か小さな目標を考えるほどに自分が今どこにいるのか、どのような目標が正しいのか分からなくなる不安で筆を持つ手が止まってしまいます。

つまり、【私の違和感】はかつてのそれから大きく変化していて、心の敏感さからではなく、復職へ向けて進んでいる自分や今こうして院内を歩いている自分の位置が曖昧模糊としていることが原因。

では、これを解消するためにはどうすれば良いのでしょうか?ーかつてのそれを解消できた時と同じ。第三者のフィードバックを恐れずに広い視野で【違和感】の原因と向き合うこと。それが人と関わることや「はみ出しモノであること」から生まれる恐怖なら、「はみ出しモノ」である自分を認めて正直に、そして謝るべきときは素直に、周りと上手くチューニング(コミュニケーション)をしながら生きること。

新たな【私の違和感】を解消させるために、今日も私は朝7時から30分間、院内を杖を片手に歩く。ストップウォッチという第三者の視点と共に。そして、現実と人との対峙を恐れることなく、リハビリの先生へ問いかける―【私の違和感】の正体を。そして共に考えて実践していく、世界と調和をとるための方法を。