左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

正義のギセイ

 どうやら、私は真面目になればなるほど、自分が苦悩して出した解を【正義】と決めつけてしまうらしい。

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先日の『読売新聞』でも京大の立て看板撤去、という【正義】の解を巡る騒動について以下の様に書かれていました。

京大のキャンパスの外周、学生らが公道に立てかけた数々の看板は条例違反だと、大学が撤去に乗り出した。「立て看板は京大の文化。自由な学風はどうなる」。学生が反発し、騒動になっている。

双方、たかがタテカン、されどタテカンなのだろう。

『読売新聞』(2018年5月14日朝刊)

つまり、【正義】は一つであるとは限らない―神なき日本人なら猶のこと【正義】の所在を求め、傷つけ合うのかもしれません。

 

遠藤周作の『悲しみの歌』(1977)で登場する町医者・勝呂(すぐろ)と彼を追う青年記者・折戸が良い例でしょう。

 

本作は遠藤周作の代表作である『海と毒薬』(1957)の続編とも言われており、『海と毒薬』で主人公・勝呂が研修医だった時代、捕虜の米兵の解剖実験に参加した後を描いています。

勝呂は良心の呵責を感じる間もなく、運命に身をゆだねて解剖実験に参加した日の罪を”背負いながら”ひっそりと町医者として生きていましたー最期の近い老人の願いを叶えようと安楽死をさせるための準備をしながら…。

そこに勝呂の過去の罪を嗅ぎ付け、迫るのが青年記者・折戸。彼は彼なりの【正義】の旗を持ち、解剖実験に参加した勝呂を「記事」という自分だけのテリトリーで断罪しようと勝呂を取材します。

そしてその後、勝呂は罪の意識に苛まれ、自死の道を選ぶー。

 

唯一神を持たない上、各々の想いだけで生きていればその想いの数だけ【正義】が生まれ、衝突も生まれる。

その想いが強ければ強いほどーつまり、幾多もの困難を乗り越えた先に見出した解であるほどに、譲れぬ【正義】となって、その衝突は強くなるのかもしれません。

ひねくれた心によって経験した2度の休職と復職、その先に見つけたやりがいのある仕事…そして、脳出血と11時間にも及ぶ手術と左手脚の麻痺という現実との対峙ー私の「復職への想い」は上の二つの物語と同じく【譲れぬ正義】となっていて、その分この先も誰かとの対立を生んでしまうのかもしれません。

しかし、対立は【相手の正義を否定する】ものーそして、時に犠牲を生むもの…。

【譲れぬ正義】と【相手のそれの否定】という二律背反に悩みながら、数日を過ごしていますが、結局のところこの命題を解くためには互いの【譲れぬ正義】の尊重をすることが一つの手なのかもしれない、と考えています。

【譲れぬ正義】について考えながら、歩行自主練をしていた朝6時ーロック式の出入り口の前にふと立ち止まりました。

この外で蠢動している数多の【譲れぬ正義】に私のそれが保ったままでいられるだろうか、と自分に問いかけながら。

自分が誰かの【正義】のギセイにならず、さらに自分の【正義】で誰かをギセイにしないためにー1日でも早くこの扉を抜け、たくさんの【正義】を自分のそれに取り入れようと決意しながら。