左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

「夜の思い」は言葉のかたち

消灯の21時を過ぎても私はこっそりと机に向かっている―リズミカルとはいえない、タイピング音を響かせて。

左脚の方は先日杖が外れ、装具のみになったので、血豆をつくりながら1日1万歩を達成すべく、歩き続けています。

 

 

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 一方の左手は筋トレとタイピング練習が主なメニューで、タイピングには病院に毎朝届く『読売新聞』の「編集手帳」(460字)を13分以内を目標に打ち直しています。

麻痺のある左手指で押すキーを決めて打ち込んでいるため、どうしても時間はかかりますが、私の仕事はこれができなくては何も世に伝えることができないので、根気強く、毎日欠かさず続けています。左脚の血豆やひざの痛みに苦しまされても、指は動くから。

 

そして昨晩―「編集手帳」を打ち込んでいる私は動き続けるタイマーの存在を忘れて顔も名前も分からない筆者の言葉に心を奪われました。

 

長くなりますが、筆者に敬意を表してここに全文を引用します。

 

「フランスの詩人ランボーの『朝の思い』はこう始まる。<夏の朝、四時、愛の眠気がなおも漂う木立の下。東天は吐き出している 楽しい夕べのかのかおり>中原中也訳◆人が目を覚ましたとき、おぼろげに思いだすのは前の夜の幸せな記憶なのかもしれない。警視庁の調べでは、その子の起床時間も朝の「4時」だったらしい。東京都目黒区のアパートで今年3月、虐待死した船戸結愛ちゃん(当時5歳)である◆父親の雄大被告(33)の指示で毎朝、自分で目覚まし時計をかけて寝床から起き出し、一人ひらがなの練習をしていたという◆<きょうよりかもっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるして ゆるしてください おねがいします もうおなじことはしません ゆるして>。結愛ちゃんが大学ノートにしるした”朝の思い”である。こんな切ない詩は見たことがない。食事は十分に与えられず、ときに顔を殴られ、冷水をかけられ、やがて衰弱して短い命を閉じた◆窓から朝の光がさし始めた頃、けなげに一生懸命書いていたに違いない。とってもえらい子だよ、結愛ちゃん。」

私はこの文章を読んで、11時間の大手術を終えた後に親友(恋人)がかけてくれた言葉を思い出していました。

「メグミはえらいよ!よく頑張った!」

思えば、元々自己肯定感の低い私の心が更にひねくれ、ベッドから起き上がることも会社に行くこともできなかった時も彼は私を励まし続けてくれていました―「メグミはえらいよ!俺にはできないよ!だから、これからまた、焦らずに一歩ずつやっていけばいいよ、一歩ずつね」

生き方の見当すらつけられないような、人生の困難に陥ったときーその人が発する声はか細く、雑踏に紛れてしまう。かつての私の声がそうであったように。

その声を、心を雑踏から拾い上げるために必要なのはきっとお金ではない。

まずはその人がかけて欲しい、と望む「言葉」なのではないでしょうか。

 

その証拠として、上記の「編集手帳」を読みながら、困難に押しつぶされそうだった私を救ってくれた親友を思い出したときに浮かんだのは彼の顔ではなく、「言葉」でした。

 

私にとっての言葉とは、きっと出会った人や作品を形づくる材料。

そして、その素晴らしさを伝え、私と同じように生きづらさに苦しむ誰かのためのもの。

会ったこともない、結愛ちゃんを想って「とってもえらい子だよ」と書いた記者の顔を思い描いてみよう。きっと、笑うと目じりにしわが寄るような温和な方。

 

いつか私も、私と同じ命と姿を言葉に宿せるようになりたい。

だからお願いだ、このひねくれた左手足と脳でも人の世を生きさせて欲しい。

私の言葉が誰かの心を救える、その日まで。