多様性について
9月上旬に復職をした私はヘルプマークを鞄に付けて家を出た。
不自由な左手でわざわざ「自分には障害があります」というレッテルを付ける作業が苦しくて玄関で声を上げずに、冷静にその湧出する感情を処理するように、ただ涙を流しながらヘルプマークを付けていた。
「そんなに苦しいなら復職せずに、少し実家で休んでいれば?」
「そんなに頑張らなくていいよ」
ーじゃあ、私の人生は、幸福は誰が守るのか?
ーじゃあ、私の居場所は誰かがつくってくれるのか?
頑張らなくていい、というのは優しい言葉だと思う。
しかし、そうしたことで私は幸せにはなれない。
フリーカメラマンの幡野さんが言っていたけれど「優しさの暴力」にいつまでも付き合っていられない、そう強く思う。
フィフティ・フィフティで優位脳が生き残り、さらにフィフティ・フィフティで命が助かった私からすれば、もうそろそろ私は私を愛してあげたい。
思えば、私は自愛とは程遠い人生を送ってきたと思う。
幼少期は家族から嘲笑(程度を示す余裕がこの言葉にはないけれど)されてもそれを呑み込んで自分をゴミのように思い、頻繁に「自分は何故生まれたのか、生きているのか、死んだ方が良いのでは?」とキュルケゴールのような暗い哲学で生きてきた。
何故なら、自愛を通さずに傷つけば、相手の衝突や面倒は起きないから。
一方で、上のロジック(理性)から外れた人間としての本能的反動だと思うけれども「あ、これ以上相手の意見を呑んだら死ぬな」と感じたら相手の声を聴かずに暴走するようになった。
しかし、この「暴走」が起きたときに(家庭や会社における)社会は私の意見を抑えようと、エスカレートすると存在を消そうとする(過激な表現ですみません)。
そして、社会人になり、休職をし、振出しに戻った私は
「自責で成長する」
という答えに行きつく。
しかし、脳出血を起こし、復職して一週間以上が経過した今、私はもう「これ以上自分を責められない」と思った。
自責が成長のカギであることは間違いではないのだけれども、
社会的立場が弱い今の自分がそれをすることは危険だと思った。
何故、危険か?
ー「あ、このままだと私は死ぬな」と思ったから。
これだけ精神的に不安定な人生を送っていて「自責から成長する」というスローガンを掲げている私なので、自分が死のうとしている予兆は把握している。
一つ、映画と本を求めて神保町に行く
一つ、衛生面に気を使うことが面倒になり、休日も外出しない
最後に、現実逃避のように、生きながら死ぬかのように、ただ、寝る。長時間。
昨晩、私は人と会う場所を神保町に設定したし、その後本屋を渉猟して映画も観たし、シャワーを浴びずにただ、今晩まで寝た。
中途覚醒はあったけれど、何も考えたくないので、無理に寝た。
この無限ループを脱するキーワードとして私の中で挙がったのが「多様性」。
しかし、私がいう「多様性」は個人(主にマイノリティ)が個人の主張を力まかせに通そうとするようなものではない。
互いが互いの意見を聞き、納得した後に共通解を見出す、といった意味での「多様性」だ。
いや、私自身痛いくらいに分かっている、これがめちゃくちゃに面倒だということを。
特に、不特定多数の人間が一つの組織に属する社会において、この過程を省いて強制的に同じ方向を向かせたほうが面倒ではないことも知っている。
しかし、この「面倒」を私が乗り越え、周囲に理解を得ない限り、私はまた死にたくなる。
私がなぜ、これだけ声を荒げているのか?
せっかく生き残ったんだ。
ICUだか、その前の救急車だか思い出せないけれど、フレディー・マーキュリーと大杉連さんにも会った。
でも、私は母の背中と今の仕事に思いを馳せることを選んだ。
我儘だと、アウトローだと言われても良い。
―文章を書きたい、人と会いたい、仕事がしたい。
ー生きたい。
私はもう、周囲の目を気にして自分の考えがオカシイのではないか、と疑うこともしたくない。
ただ、私は不完全な私を愛する道を選びたい。
だから、
理解されなくとも、理解されるまで直接言葉にして話そう。
理解できなくとも、理解できるまで直接言葉を聞こう。
それが真の意味での「多様性」、つまり個々を尊重することに繋がると思うから。