はみ出しモノは正直モノであれ
今回は少しだけ情けない社会人1年目の話を交えて。
社会人1年目の時ー私は「多量の請求書を三つ折りにする」「多量の請求書とその控えを分別する」というごく簡単な仕事すら満足にできませんでした。
なぜか?ー頭の中で先輩の指示をまとめることが難しく、半ば混乱状態で仕事を続けている状態だったから。
そんな私を根気強く指導していた上司を困らせ果てた先にかけられた言葉がありますー「これは幼稚園児でもできることだよ?」
その方は本当に仕事に対して真っ直ぐな方で、社会人としての私の恩人でもあります。今でも心配そうに語りかけるその方の表情をまざまざと思い出せる程にこの言葉は今でも忘れられません。
その言葉の鋭利さ故にではなく、「はみ出しモノ」である事実を初めて強く認識した瞬間だったから。
続きを読む優生思想と病について
ALS患者が安楽死を望み、その手助けをした医師について「優生思想」の持ち主であると書かれている記事を読んで、数年ぶりにブログの編集画面を立ち上げている。
私は2017年に24歳で脳出血を起こし、今でも左上下肢に軽微な麻痺がある。
そんな状況の私からすると、優生思想は何も特別なことではなく、かつて在籍していた企業では日々自分の存在意義のなさを感じ、体調不良を無視して働き、復職後も2度救急搬送されている。自殺の準備までするようになった頃、私は自殺方法について検索している中で「優生思想」を知ることになった。
感覚的ではあったけれど、自分が身を置いていた社会環境を映した言葉と概念だと思った。
超資本主義社会の中で生産性の向上と利益の向上を目指す人々は恐らく、何の悪意もなく「生産性の低い人間は不要」だと考えているのではないだろうか?
私もかつて在籍していた企業で感じた「優生思想」から心の底から自分の存在は社会に不要だと考えるようになっていたし、安楽死を依頼したALS患者と同じように生産性が低い自分が、どう安らかに死ねるか・方法はないか調べていた。
Twitterでは優生思想について非道徳的だと批判する声もあるようだが、私の実体験からすると、特段非道な思想ではなく、身近に溢れている思想だと思う。
そして、それに呑み込まれた障がい者・闘病中の人間が同じく優生思想に辿り着き、死に向き合うことになるだけのことだ。
これらの事象を眺めていた、脳出血患者の私から、世の中に問いたい。
「社会は病や障害と闘う生命が生きることを、本当に許しているのでしょうか?」
多様性について
9月上旬に復職をした私はヘルプマークを鞄に付けて家を出た。
不自由な左手でわざわざ「自分には障害があります」というレッテルを付ける作業が苦しくて玄関で声を上げずに、冷静にその湧出する感情を処理するように、ただ涙を流しながらヘルプマークを付けていた。
「そんなに苦しいなら復職せずに、少し実家で休んでいれば?」
「そんなに頑張らなくていいよ」
ーじゃあ、私の人生は、幸福は誰が守るのか?
ーじゃあ、私の居場所は誰かがつくってくれるのか?
頑張らなくていい、というのは優しい言葉だと思う。
しかし、そうしたことで私は幸せにはなれない。
フリーカメラマンの幡野さんが言っていたけれど「優しさの暴力」にいつまでも付き合っていられない、そう強く思う。
フィフティ・フィフティで優位脳が生き残り、さらにフィフティ・フィフティで命が助かった私からすれば、もうそろそろ私は私を愛してあげたい。
思えば、私は自愛とは程遠い人生を送ってきたと思う。
幼少期は家族から嘲笑(程度を示す余裕がこの言葉にはないけれど)されてもそれを呑み込んで自分をゴミのように思い、頻繁に「自分は何故生まれたのか、生きているのか、死んだ方が良いのでは?」とキュルケゴールのような暗い哲学で生きてきた。
何故なら、自愛を通さずに傷つけば、相手の衝突や面倒は起きないから。
一方で、上のロジック(理性)から外れた人間としての本能的反動だと思うけれども「あ、これ以上相手の意見を呑んだら死ぬな」と感じたら相手の声を聴かずに暴走するようになった。
しかし、この「暴走」が起きたときに(家庭や会社における)社会は私の意見を抑えようと、エスカレートすると存在を消そうとする(過激な表現ですみません)。
そして、社会人になり、休職をし、振出しに戻った私は
「自責で成長する」
という答えに行きつく。
しかし、脳出血を起こし、復職して一週間以上が経過した今、私はもう「これ以上自分を責められない」と思った。
自責が成長のカギであることは間違いではないのだけれども、
社会的立場が弱い今の自分がそれをすることは危険だと思った。
何故、危険か?
ー「あ、このままだと私は死ぬな」と思ったから。
これだけ精神的に不安定な人生を送っていて「自責から成長する」というスローガンを掲げている私なので、自分が死のうとしている予兆は把握している。
一つ、映画と本を求めて神保町に行く
一つ、衛生面に気を使うことが面倒になり、休日も外出しない
最後に、現実逃避のように、生きながら死ぬかのように、ただ、寝る。長時間。
昨晩、私は人と会う場所を神保町に設定したし、その後本屋を渉猟して映画も観たし、シャワーを浴びずにただ、今晩まで寝た。
中途覚醒はあったけれど、何も考えたくないので、無理に寝た。
この無限ループを脱するキーワードとして私の中で挙がったのが「多様性」。
しかし、私がいう「多様性」は個人(主にマイノリティ)が個人の主張を力まかせに通そうとするようなものではない。
互いが互いの意見を聞き、納得した後に共通解を見出す、といった意味での「多様性」だ。
いや、私自身痛いくらいに分かっている、これがめちゃくちゃに面倒だということを。
特に、不特定多数の人間が一つの組織に属する社会において、この過程を省いて強制的に同じ方向を向かせたほうが面倒ではないことも知っている。
しかし、この「面倒」を私が乗り越え、周囲に理解を得ない限り、私はまた死にたくなる。
私がなぜ、これだけ声を荒げているのか?
せっかく生き残ったんだ。
ICUだか、その前の救急車だか思い出せないけれど、フレディー・マーキュリーと大杉連さんにも会った。
でも、私は母の背中と今の仕事に思いを馳せることを選んだ。
我儘だと、アウトローだと言われても良い。
―文章を書きたい、人と会いたい、仕事がしたい。
ー生きたい。
私はもう、周囲の目を気にして自分の考えがオカシイのではないか、と疑うこともしたくない。
ただ、私は不完全な私を愛する道を選びたい。
だから、
理解されなくとも、理解されるまで直接言葉にして話そう。
理解できなくとも、理解できるまで直接言葉を聞こう。
それが真の意味での「多様性」、つまり個々を尊重することに繋がると思うから。
多様性の誤解
9月上旬に復職をした私はヘルプマークを鞄に付けて家を出た。
不自由な左手でわざわざ「自分には障害があります」というレッテルを付ける作業が苦しくて玄関で声を上げずに、冷静にその湧出する感情を処理するように、ただ涙を流しながらヘルプマークを付けていた。
「そんなに苦しいなら復職せずに、少し実家で休んでいれば?」
「そんなに頑張らなくていいよ」
ーじゃあ、私の人生は、幸福は誰が守るのか?
ーじゃあ、私の居場所は誰かがつくってくれるのか?
頑張らなくていい、というのは優しい言葉だと思う。
しかし、そうしたことで私は幸せにはなれない。
フリーカメラマンの幡野さんが言っていたけれど「優しさの暴力」にいつまでも付き合っていられない、そう強く思う。
フィフティ・フィフティで優位脳が生き残り、さらにフィフティ・フィフティで命が助かった私からすれば、もうそろそろ私は私を愛してあげたい。
思えば、私は自愛とは程遠い人生を送ってきたと思う。
幼少期は家族から嘲笑(程度を示す余裕がこの言葉にはないけれど)されてもそれを呑み込んで自分をゴミのように思い、頻繁に「自分は何故生まれたのか、生きているのか、死んだ方が良いのでは?」とキュルケゴールのような暗い哲学で生きてきた。
何故なら、自愛を通さずに傷つけば、相手の衝突や面倒は起きないから。
一方で、上のロジック(理性)から外れた人間としての本能的反動だと思うけれども「あ、これ以上相手の意見を呑んだら死ぬな」と感じたら相手の声を聴かずに暴走するようになった。
しかし、この「暴走」が起きたときに(家庭や会社における)社会は私の意見を抑えようと、エスカレートすると存在を消そうとする(過激な表現ですみません)。
そして、社会人になり、休職をし、振出しに戻った私は
「自責で成長する」
という答えに行きつく。
しかし、脳出血を起こし、復職して一週間以上が経過した今、私はもう「これ以上自分を責められない」と思った。
自責が成長のカギであることは間違いではないのだけれども、
社会的立場が弱い今の自分がそれをすることは危険だと思った。
何故、危険か?
ー「あ、このままだと私は死ぬな」と思ったから。
これだけ精神的に不安定な人生を送っていて「自責から成長する」というスローガンを掲げている私なので、自分が死のうとしている予兆は把握している。
一つ、映画と本を求めて神保町に行く
一つ、衛生面に気を使うことが面倒になり、休日も外出しない
最後に、現実逃避のように、生きながら死ぬかのように、ただ、寝る。長時間。
昨晩、私は人と会う場所を神保町に設定したし、その後本屋を渉猟して映画も観たし、シャワーを浴びずにただ、今晩まで寝た。
中途覚醒はあったけれど、何も考えたくないので、無理に寝た。
この無限ループを脱するキーワードとして私の中で挙がったのが「多様性」。
しかし、私がいう「多様性」は個人(主にマイノリティ)が個人の主張を力まかせに通そうとするようなものではない。
互いが互いの意見を聞き、納得した後に共通解を見出す、といった意味での「多様性」だ。
いや、私自身痛いくらいに分かっている、これがめちゃくちゃに面倒だということを。
特に、不特定多数の人間が一つの組織に属する社会において、この過程を省いて強制的に同じ方向を向かせたほうが面倒ではないことも知っている。
しかし、この「面倒」を私が乗り越え、周囲に理解を得ない限り、私はまた死にたくなる。
私がなぜ、これだけ声を荒げているのか?
せっかく生き残ったんだ。
ICUだか、その前の救急車だか思い出せないけれど、フレディー・マーキュリーと大杉連さんにも会った。
でも、私は母の背中と今の仕事に思いを馳せることを選んだ。
我儘だと、アウトローだと言われても良い。
―文章を書きたい、人と会いたい、仕事がしたい。
ー生きたい。
私はもう、周囲の目を気にして自分の考えがオカシイのではないか、と疑うこともしたくない。
ただ、私は不完全な私を愛する道を選びたい。
だから、
理解されなくとも、理解されるまで直接言葉にして話そう。
理解できなくとも、理解できるまで直接言葉を聞こう。
それが真の意味での「多様性」、つまり個々を尊重することに繋がると思うから。
♩=118
午前8時30分頃ー改札からどっと流れ出る人の列の合間を抜けて歩く。
数日前から私は院内を歩く前に医療スタッフの足元を観察するようになりましたーイヤホンから聴こえるメトロノームのテンポを合わせながら。
入院当初から担当理学療法士のエノモトさんと「退院までに通勤ラッシュを経験しよう」と話していたのですが、ついに昨日、私は「千葉県の通勤ラッシュ」を経験しました。
私は空間把握能力のある右脳に脳出血を起こしたため、日常生活にはほぼ支障がない程度ではあるものの、物や人との距離感を把握することが苦手になっていますーつまり、大勢の人を避けながら歩くことが苦手。
そこで、私は昨日までこの課題を乗り越える方法として「メトロノームアプリのテンポに合わせて歩く」という自主トレを行なっていました。
つまりー院内のスタッフ(特に看護師)は日々患者の対応に追われているため、歩行スピードが通勤ラッシュの社会人に近いのではないか…という仮説を立て、彼らの足元を見ながら平均的なメトロノームのテンポを探っていたのでした。
そこで行き着いた答えは「♩=118〜120」。
通勤ラッシュの波を掻き分けて歩くために必要なテンポがこれ。自分と他人との距離が把握しづらかろうとも、こちらがこの平均テンポを崩すことなく歩けば大抵の場合、相手も避けてくれるだろうし、ぶつかってしまってもその時はお互い様だろうー。
8時過ぎー掴まる場所もないため、ただ約20分間、揺れに耐える。そして乗り換え練習のため、無駄に途中駅で乗り換えをする。
電車間を通る人と向かいの電車から降りてくる人の間をすり抜けて乗り換える。
心の中でメトロノームの無機質な音は響いていなかった。でも、ただ「会社に行きたい」という思いが♩=118のテンポで私の脚を動かしていたような気がしました。
退院後、もし会社に歩いて向かう日が来たなら私はどれくらいのテンポで歩いているのでしょうかーせめて初日は嬉しさが勢いになり、♩=120ぐらいはあると嬉しい。
ひねくれ「努力論」
20時30分―病室中央にあるリハビリルームにあるベッドに寝っ転がり、歩行器の金具に反射して天井に映る光をぼんやりと眺めていました。
歩行リズムを一定に保つために聞いていた、メトロノームの音がイヤホンをした耳から濁流のように流れ落ちていく…
―「私は何のために歩いているんだ?」
creacreative-megumi.hatenablog.com
仕事が楽しいから、仕事を通して人と出会えることが楽しいから…それらを自分が踏ん張って手に入れたものだからーそしてそれらを取り戻すため。
言葉にするのは簡単だけれども、結実の様子が想像しにくい努力ほど苦しく、難しいのかもしれません。
幸田露伴の『努力論』序文にもあるように。
努力は一である。併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は當面の努力で、盡心竭力の時のそれである。人はやゝもすれば努力の無效に終ることを訴へて嗟歎するもある。然れど努力は功の有と無とによつて、之を敢てすべきや否やを判ずべきでは無い。努力といふことが人の進んで止むことを知らぬ性の本然であるから努力す可きなのである。そして若干の努力が若干の果を生ずべき理は、おのづからにして存して居るのである。ただ時あつて努力の生ずる果が佳良ならざることもある。それは努力の方向が惡いからであるか、然らざれば間接の努力が缺けて、直接の努力のみが用ひらるゝ爲である。(『努力論』幸田露伴)
学生時代に「序文だけ読んで」、その難解さに放り投げた『努力論』ーあれから数年経った今、先人の言葉を痛感することになろうとは思いもしませんでした。
つまり「間接の努力」が欠けやすい原因は「努力の結実への道のりの長さ」にあるのではないかーと永遠に続くような、メトロノームの音に溺れかけながら考えていたのでした。
いや、道のりの長さを分かっていたから今まで頑張ってこれたのでは?ー
creacreative-megumi.hatenablog.com
思えば私は「13,000歩」という【ただの数字】だけを【目標】と誤認していたのかもしれません。
また、最近の私は左手脚のリハビリと自主練は合計して5時間30分になるように予定を組んでいました―きっとこれも【ただの数字】。
「努力の結実への道のりの長さ」を「間接の努力」を成して乗り越えるためには、私の場合、数字目標に「模擬体験」を関連付ける必要があるのかもしれません。
例えばー文字起こし。1時間の音声を3時間以内に文字起こしできていたのなら、その模擬体験(実際に取材をして文字起こしをする)を時間内に行えるようにするー。
そもそも私の目に見えている標(しるし)は数字ではありませんでしたー仕事をしている過去の自分の視点を通した記憶。
この「狭い世界」にいると、どうしても目の前の数字を追いかけたくなる。でも、それは私が見ている世界ではありませんでしたー。
つまり、努力の方向が間違っていれば「間接の努力」に疑問を抱くようになるようです―「私は何のために歩いているんだ?」と。
幸田露伴は序文の後どのような文を続けたのでしょうか?思わず答え合わせをしてみたくなりました。
「夜の思い」は言葉のかたち
消灯の21時を過ぎても私はこっそりと机に向かっている―リズミカルとはいえない、タイピング音を響かせて。
左脚の方は先日杖が外れ、装具のみになったので、血豆をつくりながら1日1万歩を達成すべく、歩き続けています。
creacreative-megumi.hatenablog.com
一方の左手は筋トレとタイピング練習が主なメニューで、タイピングには病院に毎朝届く『読売新聞』の「編集手帳」(460字)を13分以内を目標に打ち直しています。
麻痺のある左手指で押すキーを決めて打ち込んでいるため、どうしても時間はかかりますが、私の仕事はこれができなくては何も世に伝えることができないので、根気強く、毎日欠かさず続けています。左脚の血豆やひざの痛みに苦しまされても、指は動くから。
そして昨晩―「編集手帳」を打ち込んでいる私は動き続けるタイマーの存在を忘れて顔も名前も分からない筆者の言葉に心を奪われました。
長くなりますが、筆者に敬意を表してここに全文を引用します。
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