左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

辛いときに「辛い」と言えない理由

脳出血を起こしてから何度も泣いているけれど、今日は最も小さなことで泣いてしまった。「コパン(生後8ヶ月の飼い猫)に会いたい」ー。面会に来てくれた母はそんな私を見て呆れ顔だったけれど、人生最大の難関の渦中にいる私にはそんなことですら悲しく辛い。「動かせないし感覚もない左脚で歩けるようになり、あの小さくて温かいふさふさの身体を抱き上げられるだろうか」今はまほとんど動かせず、感覚のない左手であの子の頭を撫でることはできるのだろうか」不安と悲しみはとめどなく流れて私ですら全部を掬い上げることができないのに、それを母やほかの誰かに掬い上げてもらうことはもっと難しいと思います。だから私はただ一言「コパちゃんに会いたい」と言って涙をぽろぽろと流しました。

きっと、辛いときに人が「辛い」と言えないのはプライドもあるのだろうけれど、その一言を口に出してしまった時に連なって溢れていく大量の感情をうまく処理出来ないし、誰かに掬い上げてもらえないことに気付いているからなのかもしれません。

そんなぐちゃぐちゃの顔と心で車椅子に乗った私は病院内から新宿の夜景が一望できる場所へ看護師さんに連れて行ってもらいました。ライトアップされたドコモタワーを見ながら音楽を聴いてみました「辛い時 辛いと言えたらいいのになぁ
僕達は強がって笑う弱虫だ
淋しいのに平気な振りをしているのは
崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ 」「小学生の 手と足が一緒に出ちゃう行進みたい
それもまたいいんじゃない? 生きてゆくことなんてさ
きっと 人に笑われるくらいがちょうどいいんだよ」大好きなAqua Timezの『決意の朝に』です。そうなんですよね、辛い気持ちを隠して笑った方が実は楽なんです。止めどない感情を処理する必要もないし、「誰かに掬い上げてもらえるかな…めんどくさがられないかな」と心細い想いをすることもないから。でも、辛いときにただ一言「辛い」と言わなければただでさえ溢れんばかりの感情を堰き止めている私たちの心は瓦解してしまいます。脳出血を起こしてやっと、大好きなこの歌に込められた言葉の意味が分かった気がします。作詞作曲をした太志さんはどんな経験からこの言葉を生み出したのでしょうか…。心がひねくれていたが故に休職を2度もした私が心の病気にかかって一番辛かったことは「心で何も感じられない」ことでした。だから、声を大にして言います。いくつもの「辛い」を心に抱えている人へー「怖がっていないで、貴方の心の為に、貴方のために、一言だけ【辛い】と言ってあげて下さい」。勿論、歯をくいしばる必要がある時もあります。でも、たくさんの【辛い】を抱え込んでいる人はひとりでたくさん歯を食いしばった挙句、たくさんの【辛い】を抱えていることが多いのではないかと思います。だから、一回だけ一言だけ「辛い」と誰かに言ってみてください。

私は明日のリハビリの前もこの曲の力を借りて頑張ってきたいと思います。