左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

人と関わることが怖くて「一人で生きたい」と思っていたひねくれた私の心が少しずつまっすぐになるまで

私は日芸映画学科だったこともあり、古今東西たくさんの映画を観てきました。その中でもジャン=ピエール・ジュネ監督の『アメリ』(2001)https://movies.yahoo.co.jp/movie/アメリは一番好きな作品。繊細な心を持っているが故に人と関わることが苦手な主人公のアメリが自分に似ているので、魔法のように、彼女の涙は私の涙になるし、彼女の笑顔は私の笑顔になる。人と関わることが怖いくせに人一倍実は人と関わって幸せになりたい、と変な行動をとってしまうところまで似ていて可笑しくなる。

 

私はアメリのように人と関わることが怖くて、ずっと相手の声が聴こえないように耳を塞いでいました。だからただでさえ難しいのに、余計に相手の心は読めないし、色々な所で齟齬が生まれてしまう。社会人になって沢山の方に迷惑をかけてしまったし、わたし自身も心の病気に罹り、辛い思いをしました。でも、少しずつ心がまっすぐになって、そして、脳内出血を起こしてわかったことがあります。

「たとえ傷付けられても、それを癒す力が人間関係にはある」。そしてそれに本当の意味で気が付けるのは自分を素直に曝け出して「傷付く勇気」をもって誰かと繋がれたときです。ビジネス本を読んだだけでは本当の意味で気が付くことはできません。

 

以前仕事で取材した菱川さんも仰られていた通り、【仕事とは人】であって、人生とは人なのだと、心も左手脚もひねくれてやっと私は分かりました。

▽木琴』監督の菱川勢一さんが語る、ある“職人クリエイター”の物語

https://www.creativevillage.ne.jp/36842

例えば、私が耳も口も心も塞いだまま今も生きていたら、「また部署のメンバーと仕事がしたい。あの人の言葉をクリエイターに届けたい」と病室で大泣きしたり、私を心配して連絡をくれる方がいたりすることもなかったと思います。そして、きっと生きる意味を見失って、心が跡形も無く粉々に砕けてしまっていたのではないかと思います。

 

人と繋がることは確かに怖いです。きっとその恐怖に今も苦しんでいる人はたくさんいらっしゃると思います。私と同じように人と繋がることを放棄して心がひねくれてしまって休職をしたり、仕事や人間関係がうまくいかない方に伝えたい。「でも、そのひねくれて痛む心を少しずつまっすぐにしてくれるのはほかでもない自分以外の誰かです」。

夏目漱石の『草枕』にこのような言葉があります。「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

心が今以上にひねくれていた学生時代の私は「漱石よ、よくぞ言ってくれた!」とばかりにこの言葉を頭の中でよく反芻していました。漱石が言う「住みづらさ」を抱えている=心がひねくれてしまっている、なのだと思いますが、もう住みにくいなら、いっそのこと誰かに手伝ってもらって、ちょっと洒落た、新しい世界をつくって住んでしまえばいいんです。つくっている途中にケンカをするかもしれないし、傷つけられるかもしれないけれど、きっと一緒に新しい世界をつくった達成感に抱き合うこともできるし、「近所に新しいカレー屋が出来たらしいから一緒に行こう」と提案して、食べている途中、白いシャツに染みをつくってしまったのを一緒に笑うことや悲しむことだってできる。これも一人で生きようとしていた私がはっきり言えることですが、感情を一人で抱え込む方が何倍も寂しくて辛いです。それだったら傷付いても仕方ない、と自己開示をしてしまった方が楽しく生きることができます。

アメリの様に、私の様に、人と繋がることを怖れて空想の世界で1一人、苦しんでいる人へ。その恐怖も、取り除いてくれるのは自分以外の誰か、です。そして、その誰かを見つけるためには勇気が必要です。傷付けられてしまうかもしれない恐怖に打ち勝つ勇気と、いままで聞こえなかった音を聴く勇気が。でも、飛び込んだ先には空想の世界にはなかった景色や感情があります。そして、  それがひねくれた心をまっすぐにしてくれる唯一の方法です。私は一人で生きようとしましたが、一人で生きることは無理でした。そして脳出血で左手脚が麻痺して、一人で出来ることが限られた今、改めて「一人で生きることは無理だ!」と叫びたいです。