左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

「お母さんの子どもで本当に良かった」

私の母は3人の子どもを育て抜いただけあり、とても元気で我の強い(男勝りな)女性です。そんな母が実は11時間の大手術を成功させてくれた執刀医の三輪先生以前に私の命の恩人だったことが今日分かりました。そもそも私が脳出血を起こしていることは何故、いつ、分かったのか記憶が曖昧だったので見舞いに来てくれた母(3/4に倒れてから毎日見舞いに来てくれている)に聞いてみた。

まず、私が倒れたのは3/3の夕方前。心療内科の主治医は貧血だと思い、私の父に「迎えに来て欲しい」と話したそうです。しかし、父はすぐに向かえない状況だったため、「とにかく救急車で搬送して下さい!」と返し、私は慶応義塾大学病院に救急搬送されます。とにかく血液検査をすることに。すると、異常はなし。搬送時は意識もあったし、吐気を訴えていただけで20代と若いため、脳出血の可能性は低いという判断を下した医師は母に「脳のCTは撮らないし入院はさせられない」と話したそうです。しかし、納得がいかない母は「少しでも脳出血の可能性があるならCTを撮って下さい!そうしたら安心して連れて帰りますから!」と強く返したそうです(母いわく「殴りかかる勢いで」。そして、CT検査の末に私の脳出血が判明します。

検査結果が出て、その医師から「大変なことが分かりました娘さんは脳出血を起こしています」と伝えられた時、母はイヤミたっぷりに「CT撮って良かったですね!せんせ!」と言ったらしい。この人はどこまでも強い女性なのだと、この話を聞いた私は思いました。私だったら呆然として何も返せない。そして一生かけても伝え切れない感謝の気持ちを込めてその話を聞きながら私は「お母さんの子どもで本当に良かった、私の命の恩人だ。本当にありがとう」と伝えました。自分がこんなにロマンチックな言葉を言う日が来るとは思いもしませんでしたが、これは嘘偽りなく、そして純粋な感謝と畏敬の言葉です。堂々と胸を張ってそう言えます。そして、私が誰かの母親になることができた時には彼女のように我が子を守れる強い女性になりたい、とこの文章を書いている今、強く思っています。