左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

「一歩一歩、よ」

タイトルは昨日ご退院された(!)お隣の片山さんが私に最後に贈ってくれた言葉。やっと先日、夜中に苦しんでいた私にお声がけいただいたことをきっかけにお話しができたばかりなのに…嬉しくも寂しくも、昨日片山さんはご退院されました。看護師さんとの会話を仕切り越しに聞いていた私は「片山さん」とカーテン(仕切り)の向こう側にいらっしゃるだろう、まだ見ぬ片山さんにベッドに座りながら話しかけてみました。すると、さっと目の前のカーテンが開いて、白髪頭の小さな老婦人が現れた。『大沢さん、私が片山です。隣のおばあさんです』にっこりと笑った顔がとても可愛らしく、この方があの重みのある「ありがとう」を生み出していた方なのだと納得させられました。「片山さん、あの…看護師さんとの会話を聞かせていただいていて…今日がご退院なんですね、おめでとうございます。どうかお元気で…」言葉尻はもう寂しさと喜びの涙で消えかかっていましたが、片山さんの心に私の言葉はしっかりと届いたようで、片山さんは再びにっこりと笑ってくださいました。

『大沢さん、一歩一歩、よ。そうすればきっと退院できるから!』片山さんの言葉はどれもこれも重みがあって、私の心に響きますー「ありがとう」も、カーテン越しに聞こえてきた、点滴が取れた時の「まあ、嬉しい!」という小躍りしているかのような弾んだ言葉も。

それはきっと、片山さんと私がこの病室で共に生きたから。片山さんと私の世界が少しでも交わったから。点滴の針を刺された時や点滴が漏れた時の痛みや術後の心細さや痛み、寝苦しさ、点滴が外れた時の自由をお互いに知っているから。

 

言葉を扱う仕事をしている方、言葉に興味がある方へ。

そして、心がひねくれていた過去の私へー人の心に届き、響く言葉のヒントは先人が残した小説やベストセラー書籍の中にはありません。

その言葉を届けたい相手と貴方が同じ経験をした時にホンモノの言葉は生まれるのだと私は片山さんに教えていただきました。

とは言っても、相手と同じ経験をすることはとても難しいことだと思います。

でも、同じ経験ができないなら何度も会話をして相手が見た景色、感じたこと、心の機微を教えてもらえば良い。

読書と映画が大好きで、仕事でもW eb編集者として沢山の言葉に触れてきて、「人の心に響く言葉って何だろう」と頭をひねっていた過去の私。人と関わることで、相手の言葉に傷付くのを恐れて自分の心の内を曝け出せず、相手の言葉も聞かないでいた過去の私…そしてそこのあなた…人と関わることは今の貴方にはとても怖いことだと思います。でも、その恐怖を乗り越えなくては、今度は貴方が誰かを傷付けてしまうかもしれません。

だから、 怖いかもしれないけれど、心に寄り添い、響く言葉を生み出すためには自分の気持ちを伝えて、相手の声を聞いて欲しい。

 

一気に出来なくてもいい。片山さんも仰られていた通り【一歩、一歩】です。一緒に。

貴方がその足を前に出すのなら、私は明日もほとんど動かず、感覚もない左脚を一歩、一歩前に出してリハビリに励みます。一緒に歩いていきましょう。走る必要はありません(私はまだ走れないですし沢山お話しがしたいので、一緒に歩いてもらいたいです)!それに道のりはまだまだ長いですから。まっすぐな心でいるためにも、きっと今はまだまだ一歩、一歩、です。