左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

心のモルヒネ

私は十年近く前(中学三年生の頃にすい臓がんで母方の祖母を亡くしています。

この後の話をじっくり聞いていただきたいので、みなさんが想像しやすいようにまずは祖母はどのような人だったかお話ししますね。顔立ちが整っていて本当に美しい女性。キリリとした大きな瞳からは聡明さと母と同じく心の強さが伺えます。

母に対しては厳格な面もあったそうですが、孫の私にはいつも温和に接してくれました。

特に思い入れ深いエピソードを2つお話しします。

まずは「オパールの指輪」ー中央にはめ込まれた貝殻の裏のような不思議な輝きをもつオパール石。その周りにいくつかダイヤモンドが散りばめられている豪華な指輪。

祖母はその顔立ち、涙ぐんだ大きな瞳のように美しいオパールの指輪を私が祖母の元を訪れる度に手に取って見せてくれていました。

『メグミちゃんが大きくなったらこれはあげるからね』

まだ幼稚園に入りたてだった私はまだまだ先ではあるものの、自分の小さな指にこれがはまる日に想いを馳せます。

2つ目は「横浜の高島屋」ーあの有名百貨店ですが、私は幼少期にここでお洒落さんな祖母に沢山の洋服を買ってもらいました。

いわゆる「子供用ブランド服」というやつです。

私はもちろん、小さい頃もひねくれていたので試着をする度に「(私はおばあちゃん[ばあば、と呼んでいました]の着せ替え人形じゃないんだから!)」とマセたことを考えていました。

しかし、今でもお会計の時の祖母の姿を今でも覚えているくらいに、その姿を見た私の心はまっすぐになっていました。

大量の子供用ブランド服を一度に買うので、お会計は何万円にもなります。

子供ながらに祖母が高額を支払っていることはわかっていたので、少し申し訳ない気持ちになり、レジに表示された金額をぼんやり眺めていました。

しかし、祖母はそんな私とは裏腹にとても嬉しそうに、一万円札を少し飛び跳ねながら一枚ずつトレーにのせます。

「(ばあばは何で嬉しそうなんだろう…こんなにフリフリで可愛い服は私には似合わないよ…)」

きっとお洒落さんだった祖母は可愛らしい洋服に包まれた私の姿を見て嬉しかったのだと思います。『(この可愛らしい洋服を着せてお散歩に行ける日が待ち遠しいわ!)』だなんて考えていたのかもしれません。

そんな心まで美しい祖母の身体を蝕んだすい臓がん。がん細胞は手術が出来ない血管の密集地にできていました。

治療は放射線抗がん剤ー母から聞いた話ですが始終猛烈な吐き気や痛みに苦しんでいたそうです。その痛みを和らげるために使われていたのはーモルヒネ。意識が朦朧とするほどに強い薬。

祖母の身体の痛みは強力なその薬でも和らげられないものでした…身体ですら和らげることができていなかったのなら、祖母の心の痛みはどれくらいのものだったのでしょうかーすい臓がんで苦しむことになった理不尽な運命を受け止めるために、抱え切れない苦しみを上手く伝えられない孤独に耐えるために心は軋み、ひび割れて粉々になっていたのではないでしょうか。

申し訳ないことに、私は自分の部活動を優先させてあまりお見舞いに行きませんでした。つまり、言葉で心に寄り添うことから逃げていました。苦しんでいる姿を見たくなかった、という本当にひねくれていて自分勝手な思いがそうさせたのだと思います。

脳出血で倒れ、大手術を経験した今の私であの時の祖母に会えるなら、私の言葉や涙は祖母の心に届き、その心の痛みを和らげるモルヒネになったかもしれません。

意識が朦朧としている祖母がベッドの上で『冷蔵庫にお鍋があるから…』とうわ言を言ったときに戻れるなら、「ここはお家じゃなくて病院だよ!」と心ない言葉をかけるのではなく「痛くて怖くて寂しいのに、私の為にいつものビーフシチューを作ってくれたの!?ありがとう!後で食べるね!私、ばあばが作ってくれたビーフシチュー大好きだから楽しみ!」と困り顔ではなく、にっこりと笑って伝えたい。でも、残念なことにそれはもう叶いません。

仕方がないので、私は今日もきっと私の側にいてくれている祖母にそっと話しかけてみたいと思いますー私よりも重篤な患者さんが運ばれずに予定通り手術ができたのも(運ばれて来た場合は新しく出来ている静脈瘤を誰にも知られないまま予定の一週間後に手術が行われることになっていたそうです)私の手術が成功したのも、言葉を伝えることが大好きな私が幸いなことに言語機能を失わずにいられたのも、ばあばのおかげなんでしょ?カミサマに掛け合ってくれたんでしょ?ありがとう。そして、私はひねくれモノだから苦しい時に助けてあげられなくて本当にごめんね。今なら薬よりも効く言葉をかけてあげられるのに。本当に悔しいよ。何度言っても足りないけれど、本当にごめんね。でも、私はばあばと出会えて、ばあばの孫になれて本当に幸せ者だったし、これからもずっと幸せだよ。本当にありがとう。大好きだよ。