左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

「大丈夫?」という言葉の無責任さ

今日もまたリハビリ室で涙が止まらなくなった。

私の左手はやっと軽く握ったり開いたりができるようになった程度で、補助具を使っての歩行練習まで進んでいる脚のリハビリよりも困難な道のりが続いています。

今日のメニューはいつもと変わらずカップやお手玉を移動させるもの。

しかし、リハビリが始まる前から私の心はいつもと違っていました。

 

プライベートのことで悩み、昨晩満足に睡眠を取ることができていなかった上に「現実」を受け止めなくてはいけない「脳機能テスト」が手脚のリハビリの前にありました。

テスト中も脚のリハビリ中も気丈に振る舞ってはいたのですが、中々思うように動かない左手を置いて進むリハビリメニューと先生の指示。

 

私の悲鳴は誰にも聞こえていないし、それ以前に私の悲鳴は他人の迷惑になることに気付いた私は急に心細くなり、眠気で理性がうまく感情を抑えてくれないこともあってかまたぽろぽろと泣き始めてしまったのでした。

そして、またまた私の泣き顔を見ることになった(https://creacreative-megumi.hatenablog.com/entry/2018/03/30/214108)先生が声をかけて下さいました。

 

ー『大丈夫?』

ー「はい、大丈夫です」

お忙しい上に私の大量の感情を察した先生の言葉は正しいと思います。

 

でもー「大丈夫?」という言葉にはその言葉を発した本人の心配を伝える一方的な役割しかありません。

そして、尚のこと悲しんでいる人間の声を聞く役割はありません。

だから、それを察した人間は心の状態とは逆の「大丈夫です」という言葉によってさらに感情を抱え込んで苦しくなるし、相手に心を閉ざしてしまいます。

 

確かにそんな今、私は「大丈夫?」という言葉に何度も心を引き裂かれてとても苦しいのですが、幸いなことに私がもし今後、私と同じように涙を流している人や俯いている人の近くにいることができたら、「大丈夫?」よりもっと素敵な言葉を届けられるかもしれないー「あなたのことが知りたい、今何が一番辛い?」と。

もしかしたらゆっくり話すことはできないかもしれない。でも私はその両眼から溢れ出た抱えきれない感情をあなたと一緒に掬いとって、少しでも理解したい。

それであなたの心が散り散りにならずに済むのなら。