左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

ビスケット1枚とあめ玉1つ

今回は私の生活今昔について―私は過去にも書いたように「心がひねくれた」ことが原因で休職を2度させていただきました。

 

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1度目の休職時はなぜ自分がベッドから起き上がることすら難しくなったのか考えることすらできませんでした。怠慢だと思われる方もいらっしゃると思います、現に当時の私もそう思って自分を責め続けていました。でも、抑うつ状態の脳は疲弊しきっているため、当たり前のことを達成することが難しいのです。

例えば…お恥ずかしい話ですが、2度目の休職時は付き合って一年になる恋人にお風呂場の前まで連れて行ってもらえなければ5日間シャワーを浴びれなかったこともあります。しかし、そんな状態でも人生を刻む秒針は止まってくれませんーだから、なおさら、ひねくれモノの私は「実家に戻りなさい」という主治医の忠告に耳を貸しませんでした(2度目の休職時も)せっかく社会人になり、実家を出たことで手に入れた「自立した生活」を放したくなかったし、大学で学んだ映画や芸術に関する知識を活かせていない現状に満足できるはずがなかったから。

 

そして2度目の休職明け、幸運なことに上司や先輩方のご尽力で異動となり、【Web編集者】という仕事と出会えることになります。しかし、その少し前の生活を思い出すと本当に運と人に助けられたな、と思うのですー抗うつ剤の副作用で慢性的な吐き気に悩まされていたため、日中はビスケット1枚、夜はあめ玉1つを口に放り込んで主治医の言葉も、両親の言葉も聞かずに都内でコッソリ転職活動をしていたから。自分の居場所を求め、「さまよい歩く」ように(実際に渋谷の坂で足元がふらついて樹木に寄り掛かって休みました)。

でも、今は真っすぐになりつつある心と家族、そして心強いリハビリの先生方が傍にいるーそして温かい上に栄養のある三度の食事も。

会社の先輩方、そして両親へー私は今、ひねくれた左脚も使って力強く歩いています。あの頃よりはしっかり歩けています。なので、できることならもう少しだけ待っていてください。