左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

ひねくれモノ、世代の壁を越える

転院2日目の朝。慶應義塾大学病院では自分の部屋で食事を摂っていましたが、ここでは団欒ルームで食事を摂ります。テーブルに座っている(というか入院患者の大半)が60代以上であるため、入院初日の昨日は「挨拶」と「自己紹介」だけして他の方々の会話を頷きながら聞いていました。

しかし、今朝は食事の前から団欒ルームへ行き、日記(仕事で使っていたスケジュール帳)を書くことに。

仕事用にデザインされたノートなので、その日のTODOリストが暦の下に用意されていますー①分からないことはその日の内に分かるまで聞く(特にリハビリ)②三人以上の方とお話しするーまず②を達成してしまおうと隣人のオオニシさん(70歳くらい)に話しかけようと口を開きかけたときー「あら、あなたも文章を書くのがお好きなの?」

先にオオニシさんからお声がけいただくことにー『はい、仕事が文章を書くことに関係していて…』

ー「じゃあ出版社にお勤めなの?」

ー『(Web編集者をどう説明すればいいんだ!?)出版社ではないんです。紙ではなくてインターネット上に載せる文章の編集をしていて…』

そもそも【Web編集者】はいつ頃からできた職種なのでしょうか?とにかくこの言葉は世代の壁を越えられそうになかったので当分の間使うことは無さそうです。

 

でも、私には世代の壁を越えられる知識が幸いなことに1分野だけありましたー「藝術」。

日芸の映画学科だから映画だけ観ていれば良いのかと言うと全くそのようなことはなく、複合藝術である映画を学ばなくてはいけない私は度々藝術関連の理論書・絵画の図版を読み、実際に展覧会へ足を運んでいました。

ー「私はね、文章を書くことも好きなんだけど、油絵を描いたり鑑賞したりするのも好きなのよ」

ー『油絵!お好きな画家はいますか?』

ー「私は印象派が好きでね、特にドガゴッホなんか。一度マドリードまで飛行機行って展覧会を観たんですよ」

ー『ドガは詳しくはないのですが、ゴッホは私も好きで【星月夜】が一番好きです!なぜ、印象派がお好きなんですか?』

ー「日常風景を描いているから。食事の様子とかね」

ー『あ、ルノワールの【舟遊びの昼食】なんかもそうですよね』

ー「そうね、ルノワールも素敵ね。後でよろしければ私が持っている展覧会の図版をお貸ししますよ…」

 

そして私は今、『印象派入門』(朝日新聞出版)を膝に広げてこの文章を書いています。

実は学生時代、映画を学び論じている意義を見失ってしまったことが度々ありました。学生時代から映画雑誌に批評文を寄稿していましたが、自己満足で終わっていることに気が付き、途方に暮れていたのでした。

しかし、「リハビリ病院」という意外なところで藝術関連の知識が役に立ち、驚いたと同時に喜びを感じています。

 

「俗世」との距離感

今日、誕生日の3月4日から1ヶ月強の間入院していた慶應義塾大学病院を退院します。

そしてそのまま実家から車で30分のところにあるリハビリ病院へ転院。

エモーショナルな文章はお休みして…旅立ちを前にした私が空想していることを書きたいと思います。

 

今朝、退院のため荷物をまとめていた私はあることに気が付きましたー「あれ?こんなに独り言多かったっけ…?」

リハビリの記録や社会復帰に向けた目標を記したノートを積み上げる時もー「えっと…これは一番下で…あ!どうしよう!どうしよう!薬の袋を落とした!取れるかな…いや、ケガをしたら元の木阿弥…」

この過剰な独り言の発端はとにかく自分の中に溜まっている幾多もの感情を吐き出す「対処療法」だったのですが、いつの間にか無意識に独り言が出るようになっていました。

私は病院の外の世界を「俗世」と呼んでいるのですが、私がこれからまた数ヶ月間お世話になるリハビリ病院を退院する頃には私と「俗世」との距離は離れ過ぎてしまっているかもしれません。

周防正行監督の『ファンシィダンス』(89)だって、寺院の息子で修行僧の主人公とモダンガールな恋人との間には拭えない価値観の違いが横たわっていた気が…

私が一緒に仕事をしている部署の先輩方は懐が広いけれども、私の独り言のせいで仕事が捗らないから席替えを希望されるかもしれない…何なら部署の島から外されて少し離れたフリースペースで仕事をすることになったり…

もう杖があれば一人で歩けるし、『ファンシィダンス』のコミカルな修行僧たちのように、周りの目を盗んで「俗世」へ下りる計画を立てた方が良いのかもしれません。

 

第2の故郷に想いを馳せて

人生の岐路に立ったな、と感じた時必ず聴く曲があるーショパンの『ピアノ協奏曲第1番ホ短調』。この曲はウィーンへ旅立つショパンが故郷ワルシャワを想って作曲したもので、狂ったようにブーニンの演奏動画を見ていた時期にこの曲と出会いました。

私は3歳から高校2年生まで断続的にピアノを習っていたものの、この通りひねくれモノなので高校時代は親の許可なくレッスンを直前に休んだりする困りモノでした。

 

だからピアノ(とビオラ)を演奏する方はからっきしなのですが、クラッシックを聴くことは好きで特に繊細で哀愁漂うショパンの音楽は私の感性に合っていたのか『ピアノ協奏曲第1番』に出会った後もショパンの楽曲を収録したCDを借りて度々聴くようになりました。

 

そして明日ー私は脳出血を起こして救急搬送され、11時間の大手術を経験した後に「左手脚までひねくれたWeb編集者」として第2の生を預かった故郷、慶應義塾大学病院から実家千葉県内にあるリハビリ病院へ転院します。

 

術後ICUにいた時の記憶からモニターの音を聞いただけで声を上げて泣く私がぼんやり見つめていたドコモタワー、そして母を傷つけた言葉に反論しようと「患者のご意見箱」に投書する言葉を一方的に書き連ねたあの時に私が睨んだドコモタワー、そして…故郷を旅立つ今の私がその荘厳さを賞でるように眺めるドコモタワー。

 

時間は連綿として続いているはずなのに、目の前の景色が変わっていることに気が付いた時ー私の脳に静謐なオーケストラの序奏を打ち破り、「過去に浸ってばかりいるな、出発の時だ」と言わんばかりの力強いピアノの音が響き渡りました。

 

次にこの景色を見る時は車椅子からではなく、自分の足で立って見てみたい。

 

次にこの場所へ戻って来る時は第3の故郷と人生を胸に。

ひねくれモノ、言葉を語る

私は脳出血を起こした3月3日から現在まで世間から少し遠い場所にいるので、空白の時間を埋めるべく、就寝前はニュース記事を少しずつ読んでいます。

その中でも眼を見張ったのが英物理学者・ホーキング博士の訃報。

 

恥ずかしながら私は『博士と彼女のセオリー』(https://www.google.co.jp/amp/eiga.com/amp/movie/81187/)を映画館で観て、初めて彼の存在を知りました。

当時は主演を務めたエディ・レッドメインの演技に感嘆の声を上げるばかりでしたが、左手脚が不自由になった今「車椅子の天才」と称された彼が遺した【言葉】に興味が湧き、調べてみることに。

パーキンソン病を発症し、身体を動かせないだけではなく、自分の声で話すこともできなかったホーキング博士。左手脚が不自由になってメソメソしていた私以上にメソメソしていた…ワケがありませんでした。

彼は私よりずっと死に近い場所にいた。だから、彼の言葉は生きることへの貪欲さと幸福への渇望に満ちていました。

今夜はそんな彼の言葉の中でも、左手脚のひねくれた私に最も響いたものを記して筆を置きたいと思います。

 

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未来を選べー

今回の題名はダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』(https://www.google.co.jp/amp/eiga.com/amp/movie/47360/)に因んで。

ドラッグ(ヘロイン)に溺れつつ面倒な仲間と縁が切れないで苦悩する青年の「人生の選択」をドラッグ中毒者の幻覚をはじめとしたサイケデリックな映像表現でイギーポップが歌う主題歌と同じくテンポ良く描いた『トレイン・スポッティング』(96)。

主人公が「面倒な仲間」と何となくつるんでいたから起こる事件と同じように私の脳出血に端を発する一連の出来事も奇形のある脳動脈という名の「面倒な仲間」と何となく共に生きてきたから受け止めざるを得なかっただけで、11時間に及ぶ脳神経外科手術や左手脚の麻痺などから体験したことは私がいくつもの選択肢から選んだシナリオではありません。つまりーちょっと特異な状況には置かれているけれどもこれはカミサマが(勝手に)お作りになったシナリオに過ぎない。

私の「意思」が入る余地はなかったわけです。

そしてこの度、ひねくれモノの私はカミサマから筆を取り上げることにしました。

まずは【リハビリ病院選び】。

(1)感覚麻痺がある分、分からないことを分かるまで聞き、納得しながらリハビリができる環境(2)退院後の日常生活や退院後に最も接する機会が増える家族との距離が近い環境

上記2点他を軸に3つの候補から1つの病院へ決めた上で父母と話し合い、最終決定させました。

次に【目標設定】。

「まずは退院後何を楽しみたいかを考えたら?仕事への復帰を目指してネガティブな方向に進まないか心配」というお言葉もいただいたのですが、やはり最終的な目標は【現職への復帰】。

感覚的な判断ですが、脳出血で入院して初めて泣いた時の私を信じているし、現に私は部署のメンバーと仕事がしたくて話したくて堪らないから。

これ以外の小さな目標(とかやりたいこと)は最終目標に付随して決めていきました。

 

例えばー【1人で洗顔ができる】などなど。

そもそも「退院後何を楽しみたいか」なんて閉鎖的な環境でひねくれた左手脚と共に1ヶ月以上いると机に向かわずとも次々と浮かびます。さらに今の状況で私が願う「楽しみ」は本当に小さなもので(例えば新宿御苑に杖をついて行きたいとか)恐らく達成までの道のりは人の力は必要だけど、そう遠くはない。

 

一方で、最終的な【未来】は選択から達成までの道のりはただでさえ遠い。では、左手脚がひねくれている私が進んだ時、どのくらいの時間が必要になるのでしょうか…?

 

だから、私は病院の窓から見える新宿の景色のずっと先をまずは「選ぶ」ことにしました。

ひねくれていて脆い私のことだから絶対に途中で何度も挫ける。

 

でも、この未来を生きたいんだ。本能ってヤツさ(‪ https://www.youtube.com/watch?v=jQvUBf5l7Vw&sns=tw‬)。

これってホントに「ありがとう」?

脳出血の影響で左手脚がひねくれてから一日に数え切れないほど「ありがとうございます」という言葉を使う様になりました。

「ありがとう」という言葉は「すみません」以上に汎用性の高い言葉だと私は思っているのですが、人に助けてもらわなくては日常生活が送れない今、少しこの言葉について考えたことがありますー(1)「ありがとう」ってただ自分の気持ちを伝えているだけだし、そもそも相手は感謝して欲しくて動いているわけじゃないのでは…?(2)この一言から読み取れる感情って汎用性が高い割には少ないのでは…ということです。

24年間の人生の中で一番素敵な「ありがとう」を届けてくれた片山さんについては下記の記事で書きましたが、

彼女の「ありがとう」に重みがある理由がわかったかもしれません。

▽「ありがとう」に想いをのせて
https://creacreative-megumi.hatenablog.com/entry/2018/03/28/085855

 

彼女は市井で多用され、ただの「自分本位な言葉」と化した「ありがとう」に相手が求めている【喜び】や【安堵】を声色として加えられていたから、重みのある「ありがとう」を届けられていたのではないでしょうか。

でも、今の私には到底無理な芸当です(片山さんにLINEのIDでも聞いておけばよかった)。

 

だから、私は場面と人によって相手が一番欲しいと思っているだろう言葉を予想して使うようになりました。

今や感情を表現するよりもただの自分本位な「言葉」と化している「ありがとう」という言葉を安易に使わずに、自分からお願いしたことなら「助かりました」やお気遣いいただいたことなら「お気遣いいただいて嬉しいです!」など…

 

「ありがとう」に代わる言葉は本の中にも映画の中にもありません。何故なら、自分の気持ちを表現する以前に相手の気持ちを知らなくてはいけないから。

その為には相手の性格や仕事への姿勢などの情報を集める必要があるーつまり、「ありがとう」に代わる言葉は相手とのコミュニケーションを繰り返すことによって自ずと生み出せるのかもしれません。

 

カッコーの巣を越えて

母や友人のおかげで私の読書欲は満たされているのだけれど、根本にある【映画狂(シネフィル)】魂は冷めやりません。
念願の『アメリ』を先日観て…心満たされたと同時に、気が付いたことが一つ。

人と関わることが苦手で空想の世界に閉じこもるアメリと変わり者のニノの「ラブストーリー」と位置付けていたはずの作品が人と関わることで心豊かに人間として成長していくアメリの「成功譚」に変化していたこと。なんと私は脳が生まれ変わった上に感受性とモノの見方まで生まれ変わっているようです。

そうなると…フランク・キャプラの『素晴らしき哉人生!』(https://www.google.co.jp/amp/eiga.com/amp/movie/16876/)を今の私はどう観るのでしょうか。
クリスマスツリーを囲んで歌う街の住人たちと主人公の姿ではなく、人生に失望して橋から身投げを決意した主人公に涙するかもしれない。
じゃあ、ルビッチの『ニノチカ』(https://www.google.co.jp/amp/eiga.com/amp/movie/47554/)は!?
冷徹な美女ニノチカが劇中初めて笑ったあのシーンでお腹を抱えながら笑い泣きをするのではなく、ロシアに帰国した彼女が同士とディナーを食べているシーンに仲間の有難さを感じ、心打たれるかもしれない。
じゃあ、成瀬巳喜男の『稲妻』(https://www.google.co.jp/amp/eiga.com/amp/movie/34812/)は!?
デコちゃん(高峰秀子)がぶどうの種を縁側から吐き出す姿に可愛らしさを感じて微笑むのではなく、家族に振り回されて涙を流すデコちゃんにつられて泣いてしまうかもしれない…
ジャック・タチなんかも楽しげで今の私には良いかもしれない!あの意味の分からないゴダールの映画も今なら少し感じることがあるかもしれない!

ーあゝ映画が観たい!


私は日芸映画学科時代、少ない数字ではありますが月に10本映画を観ることを目標にしていました。しかし、社会人1年目で心の病に罹ってからは月に1本も観られない日々が続きました。
映画好きである私を気遣って先輩が「オオサワ、最近映画観てるの?」と声をかけて下さっても「いえ…最近観られてなくて…」と力なく答えるだけしかできませんでした。
その反動なのか、変なハナシですが脳出血で左手脚がひねくれた代わりに心が真っ直ぐになって心療内科という名の「カッコーの巣」を越えたからか、とにかく映画が観たくて仕方がありません。

ー「オオサワ、最近面白い映画観た?」

ー「クマザキさん!それが観ちゃったんです!」

なんて会話ができる日が早く来ますように。