左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

これってホントに「ありがとう」?

脳出血の影響で左手脚がひねくれてから一日に数え切れないほど「ありがとうございます」という言葉を使う様になりました。

「ありがとう」という言葉は「すみません」以上に汎用性の高い言葉だと私は思っているのですが、人に助けてもらわなくては日常生活が送れない今、少しこの言葉について考えたことがありますー(1)「ありがとう」ってただ自分の気持ちを伝えているだけだし、そもそも相手は感謝して欲しくて動いているわけじゃないのでは…?(2)この一言から読み取れる感情って汎用性が高い割には少ないのでは…ということです。

24年間の人生の中で一番素敵な「ありがとう」を届けてくれた片山さんについては下記の記事で書きましたが、

彼女の「ありがとう」に重みがある理由がわかったかもしれません。

▽「ありがとう」に想いをのせて
https://creacreative-megumi.hatenablog.com/entry/2018/03/28/085855

 

彼女は市井で多用され、ただの「自分本位な言葉」と化した「ありがとう」に相手が求めている【喜び】や【安堵】を声色として加えられていたから、重みのある「ありがとう」を届けられていたのではないでしょうか。

でも、今の私には到底無理な芸当です(片山さんにLINEのIDでも聞いておけばよかった)。

 

だから、私は場面と人によって相手が一番欲しいと思っているだろう言葉を予想して使うようになりました。

今や感情を表現するよりもただの自分本位な「言葉」と化している「ありがとう」という言葉を安易に使わずに、自分からお願いしたことなら「助かりました」やお気遣いいただいたことなら「お気遣いいただいて嬉しいです!」など…

 

「ありがとう」に代わる言葉は本の中にも映画の中にもありません。何故なら、自分の気持ちを表現する以前に相手の気持ちを知らなくてはいけないから。

その為には相手の性格や仕事への姿勢などの情報を集める必要があるーつまり、「ありがとう」に代わる言葉は相手とのコミュニケーションを繰り返すことによって自ずと生み出せるのかもしれません。