左脳は右脳の夢をみる

24歳で脳出血を起こしても、この世界で誰かを守るために生きる1人の軌跡。

おもひで1万歩街道

iPhoneでは「ヘルスケア」というアプリが常時表示されている。その中に過去に自分が歩いた【歩数】が記録されていることを最近知った。

 

脳出血で左手脚がひねくれる直前の2月の記録を見ると、1日の平均歩数は8,163歩。仕事で取材がある日は1万歩を超えていますーしかし、過去の歩数を見た5月18日当初、私の歩数はその半分にも満たない、3,451歩…焦燥感の渦中でエクセルを開いた私は【歩数管理表】なるものを作成することにしました。

私が歩く理由は【仕事に戻るため】・【幸福に暮らすため】ーそのために歩くべき歩数を可視化することがリハビリから復職、社会復帰への最短距離を見出す必要な手順であると考えたからです。

 

ーそして、5月23日を境に1日の歩数は1万歩を超え、本日は14,880歩(距離にして7.9km)でした。

ここで私のリハビリについて補足すると、1日に先生の指導を受けて歩行するのは約2kmなので、あとの3/4はリハビリの合間にひたすら院内を歩いています(もちろん、左手の自主練も忘れずに)。

 

「ひたすら歩く」と言っても目の前に広がるのは見慣れた院内の風景で、少々楽しみに欠けますー歩行の目的が【歩くこと=歩数】になった途端、それは無味乾燥なものになってしまうー「だったら歩数を思い出や将来行きたい場所と結び付けて、そこを目指して歩こう」ー10,000歩…昭和記念公園にある大木の下にたどり着いた時はあともう少し歩いていたかもしれない、あと少し…消灯時間の10分前まで歩けばきっとあの大木が見えるかもしれない。少し前には料理に慣れない私が作ったお弁当を持つ「恋人」という名の「親友」の姿があるはず。

ー13,000歩…大木の向こうに見えるのは部署の先輩方?そのさらに先には取材企画を立てていたあの方かもしれない。

 

私にとって【歩くこと】ーつまり1日1万歩以上という目標の【数字】は【思い出】や【未来】を想起させるきっかけに過ぎません。

 

生後(術後)16日目の4月4日から本格的に始まったリハビリ。当初の私は何処にも行けない左脚を見つめながら数歩進むだけで精一杯でした。

そして手術を受け、生まれ変わってから2ヶ月と少しー生後2ヶ月の私はやっと24歳の私が歩いていた街道を思い出と、そして将来の目標と共に再び歩き出したのかもしれません。

正義のギセイ

 どうやら、私は真面目になればなるほど、自分が苦悩して出した解を【正義】と決めつけてしまうらしい。

creacreative-megumi.hatenablog.com

先日の『読売新聞』でも京大の立て看板撤去、という【正義】の解を巡る騒動について以下の様に書かれていました。

京大のキャンパスの外周、学生らが公道に立てかけた数々の看板は条例違反だと、大学が撤去に乗り出した。「立て看板は京大の文化。自由な学風はどうなる」。学生が反発し、騒動になっている。

双方、たかがタテカン、されどタテカンなのだろう。

『読売新聞』(2018年5月14日朝刊)

つまり、【正義】は一つであるとは限らない―神なき日本人なら猶のこと【正義】の所在を求め、傷つけ合うのかもしれません。

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月と六ペンス

イギリスの小説家サマセット・モームの代表作『月と六ペンス』を手に取ったのは大学2年生の始めー岩波文庫から出ていた夏目漱石の著書を大方読み終え「海外文学にも手をつけてみよう」と思っていた頃―題名に惹かれて出会った一冊。月は「夢」を六ペンスは「現実」を現しているらしい。

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失われた「多様性」を求めて

昨晩、下記の記事を読んでいて考えたことがあるー「Webライティングにおいて【多様性】を求めることは難しいのではないか?」

toyokeizai.net

ざっと上記の記事を要約すると、

  • 今年の2月、大学生協が発表した報告書によると、大学生の53.1%が1日の読書時間について「ゼロ」だと回答した
  • 読書は視野を広げ、自己形成に良い影響を与えるだけではなく、「思考力」や「寛容さ」を鍛える
  • 読書をしよう!

つまり、「読書の良さだけを主張している文章」に読めてしまうのです。

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ビスケット1枚とあめ玉1つ

今回は私の生活今昔について―私は過去にも書いたように「心がひねくれた」ことが原因で休職を2度させていただきました。

 

creacreative-megumi.hatenablog.com

1度目の休職時はなぜ自分がベッドから起き上がることすら難しくなったのか考えることすらできませんでした。怠慢だと思われる方もいらっしゃると思います、現に当時の私もそう思って自分を責め続けていました。でも、抑うつ状態の脳は疲弊しきっているため、当たり前のことを達成することが難しいのです。

例えば…お恥ずかしい話ですが、2度目の休職時は付き合って一年になる恋人にお風呂場の前まで連れて行ってもらえなければ5日間シャワーを浴びれなかったこともあります。しかし、そんな状態でも人生を刻む秒針は止まってくれませんーだから、なおさら、ひねくれモノの私は「実家に戻りなさい」という主治医の忠告に耳を貸しませんでした(2度目の休職時も)せっかく社会人になり、実家を出たことで手に入れた「自立した生活」を放したくなかったし、大学で学んだ映画や芸術に関する知識を活かせていない現状に満足できるはずがなかったから。

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「速く!もっと速く!」

今回は先日に続いて、力強い言葉をくれたエノモト先生とのリハビリについて。

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 エノモト先生は小柄で溌剌としたアラサーの理学療法士。柔道に打ち込んでいた高校時代に理学療法士になることを決意したそう。

「都内の会社にパンプスを履いて出勤したい、装具も杖もなしに」と伝えた時、確か私はまだリハビリ外での杖歩行を許可されていなかったけれど、先生はそんな背伸びし放題の私に「じゃあ、やろう」と前を向いて応えてくれた大事なパートナーです。

ひたすら歩けるし、一緒に【違和感】を解決してくれる先生とのリハビリは楽しくて仕方がありません。

私が脳出血で倒れ、左手脚が不自由になったと知って「リハビリ大変だと思うけれど頑張ってね」と連絡をくれた人もいました。

でも、私はこの言葉にある疑問をもっていました

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私の違和感

2年ほど前の初夏ー神保町でオルハン・パムクの『僕の違和感』上下巻を渋々棚へ戻した日のことを思い出す。彼の言葉から香る崇高さや艶美さすら感じさせる装丁の柔らかな手ざわりをひねくれた左手が覚えているほどにその本を離し難かったのですが、私は二つの理由からこの本との別れを決意したのでした。

一つ、上下巻合わせて約7,000円という値段から。二つ、社会人1年目の私が向き合うべき言葉は書面ではなく、仕事で関わる生身の人間との間にあったから。

 

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社会人になるまで国境を越えた古今東西の映画・本を生きる糧にしていた私の心は小さな感動すら逃すまい、と随分と敏感になっていました。例えばF・キャプラ監督『スミス都へ行く』(1939)の壮大なモブシーンに涙を流したり、新人作家・高橋弘希の『指の骨』では「戦時を知らない世代」が描いた歩兵の腐敗臭すら漂うような生々しい死の裏に隠された心の機微に感涙するほどに。

でもこの頃の自分を厳しい目で見れば、芸術から「《こっそりと》《受動的に》言葉を受け取っている」に過ぎません。更にはこの作品から受け取ったと錯覚していた「言葉」すら自分の独白に過ぎない。つまり、私はひねくれモノの自分が認められず、叱責されることを恐れて対話から逃げていたことになります。

だから、社会に出て感じた【私の違和感】を解消するべく、一旦芸術(≠アート)と距離を置いてひねくれた心の自分と、そして周りの人と会話をする、という今まで怠ってきた努力をすることにしたのでした。つまり『僕の違和感』との別れは【私の違和感】を強めず、社会人として生き残ろうと考えた末の決意。

 

そして、昨日ー院内で歩行練習をしている私は新たな【違和感】を覚えました

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